上野観光連盟

上野の歴史−5

上野公園とその周辺 目でみる百年の歩み2
文化の華開く上野公園
第一回内国勧業博覧会も正々堂々と「上野公園」を名のった。
第一回内国勧業博覧会(田中幸太郎氏蔵)
文化の華開く上野公園。第一回内国勧業博覧会開催、博物館・動物園も建てられ、電車も走りはじめる。

第一回内国勧業博覧会(明治十年)から明治中期まで


東京帝室博物館の正門
上野動物園内にある「閑閑亭」
東京名所の内。上野公園三景図(星野平次郎氏蔵)
周延画 グラント君饗応図(星野平次郎氏蔵)

明治10年(1877)

02.
西郷隆盛叛す(西南の役起る)
08.18
教育博物館上野公園に開館
08.18
第一回内国勧業博覧会上野公園で開催、天皇、皇后開会式に臨席
09.24
西郷隆盛自刃
11.27
上野東黒門町野呂義孝に馬肉販売を初めて許される
11.30
内国勧業博覧会閉会

明治11年(1878)

 
旧寛永寺中堂跡に博物館を起工。
04.08
天皇上野公園を散策桜花を観賞
05.
上野公園内に閑閑亭を再築
11.02
下谷区誕生府内を十五区六郡とす
11.04
下谷区役所は下寺通り修禅院内に開庁

《 この頃の記録 》

明治12年東京府の調査によると
東京のレクリエーション施設としては、

  • ・飲食店 1262
  • ・玉突き場 53
  • ・楊弓場 227
  • ・室内射的場 17
  • ・吹矢場 6
  • ・待合茶屋 247
  • ・遊船宿 70
  • ・理髪店 2397
  • ・浴場 1051
  • ・人寄せ場 190
  • ・煙草卸人 382
  • ・同小売人 2548

※以下この項読売新聞「日本の100年」より


右がグラント将軍手植の扇柏(ひのき)左がグラント夫人手植の玉欄
グラント将軍手植の樹並に旧鐘楼跡の図「東京名所図会」より
東叡山寛永寺本堂落慶
現本堂は開山天海大僧正の出身寺川越喜多院から移築された。

明治12年(1879)

 
不忍池弁天島で美術品の評価を交換し合う竜池会発足(後の美術協会)
04.
不忍池に支那種の蓮を数多く植える
07.04
グラント将軍(米国第十八・九代大統領)歓迎の花火を上げる。
08.25
東京府では上野公園に天皇の臨幸を仰ぎ、煙花、槍術、流鏑馬、犬追物等を天覧に供す、来日中のグラント将軍夫妻陪席
同.
グラント将軍夫妻公園に植樹
08.
下谷区役所不忍池生池院内に移転
10.10
養育院神田和泉町へ移転(後板橋へ)

明治13年(1880)

10.
東京上野博物館落成
10.10
新橋─上野─浅草間に馬車鉄道敷設が許可される
10.11
下寺跡地・園内各所の貸地不許可の通知でる。

明治14年(1881)

 
不忍池弁天堂前の出稼店に替地を給する
03.01
第二回内国勧業博覧会開場、天皇臨席
03.18
「天衣粉上野初花」初演、この年寛永時本堂落慶
第二回内国勧業博覧会場一覧之図(星野平次郎氏蔵)
第二回内国勧業博覧会(田中幸太郎氏蔵)
下寺が取り払われ、上野駅のできる直前の地図 明治12年版 校補測東京全図
(星野平次郎氏蔵)
大正震災前の上野駅。駅前広場に宣伝がではじめた。

上野公園にガス灯がつく

明治後期の上野動物園入口
(星野平次郎氏蔵)
開業当時の上野駅。今でいう構内タクシーが人力車。トラックが大八車。左端下には馬つなぎも見える。当時の写真はフィルム露光が悪いため、シャッターをあけている間に、婦人が写真左4分の1あたりから左端まで歩き、足だけが写っているのがわかる。

明治25~6年の上野動物園。子供が見えず大人が楽しんでいる。
(国利画、大河原みつさん蔵)

明治15年(1882)

02.01
米穀・山林共進会上野公園で開催
03.20
上野博物館開館、上野動物園開園
06.15
上野広小路に杉山勧業場開業
06.25
馬車鉄道、新橋─日本橋間開通
07.28
日本鉄道会社上野公園東側空地(旧下寺)に停車場設置決める。
09.06
馬車鉄道、上野広小路まで延長
10.02
馬車鉄道、上野山下─雷門間、及び浅草並木町─同須賀町間開通
12.02
東京馬車鉄道開業式挙行
12.
下谷区役所、山下町三番地に移転

明治16年(1883)

03.01
第一回水産大博覧会上野公園で開催
07.26
日本鉄道、上野─熊谷間開通
07.28
上野停車場開業
 
この年から天気予報が出され始めた

明治17年(1884)

05.01
上野─高崎間の鉄道開通
06.16
上野─前橋間の鉄道開通
08.28
上野停車場で天皇臨席のもとに日本鉄道会社の開業式行われる
11.01
天皇臨席により、上野共同競馬場落成式
明治中期の上野駅前(星野平次郎氏蔵)

欧化ブームとやらで何でも新しがりやが、羽織袴にハットをかぶり、ステッキがわりのコウモリをもち、靴をはいている。

開業の明治16年には1日の乗降客は3,291名、大正7年は29,000名、昭和5年で66,503名、現在では約45万名といわれている。

「ふじや」とある旅人宿は現上野駅前「グリルフジ」

周延画「上野不忍池共同競馬会社開業式之図」(田中幸太郎氏蔵)


明治18年6月。帝国図書館誕生。上野の図書館として親しまれる。
明治中期の上野公園花見の景。左端はガス灯
明治24~25年頃の上野山下風景。
上野止りの鉄道馬車と人力車、左端は電気灯。
右から2番目ががん鍋(今の世界のところ)
周延画「上野公園開花ノ図」
上野公園は文明開化。欧化ブームの先駆地となった。

明治18年(1885)

02.
不忍池畔で打毯を行う
04.01
不忍池生池院で、東洋絵画展開く
05.01
不忍池畔で、競馬会開き、花火上げる。
05.
下谷区役所北稲荷町34番地に移転
05.10
上野公園に奏楽堂落成
06.
東京教育博物館構内に図書館を開設
07.20
上野公園東四軒寺跡音楽取調所で卒業式
12.22
太政官制を廃し、内閣制実施、初代首相に伊藤博文就任

明治19年(1886)

04.01
上野博物館、宮内省の所轄となる

明治20年(1887)

04.06
上野公園の黒門口・車坂口など四ヵ所に田中工場出品の電気灯を点火、夜桜見物の人多数
05.21
上野公園で天皇ご臨席のもとに工芸品共進会開かれる
09.
不忍池の蓮根一千円で払下
10.04
図画取調掛を東京美術学校に、音楽取調掛を東京音楽学校に改称。
11.06
不忍池畔で秋季競馬開き、天皇臨幸。
12.04
竜池会を日本美術協会と改称。

明治21年(1888)

04.10
上野公園桜か岡の日本美術協会列品館開館
04.
下谷黒門町二番地警察署隣に可否(コーヒー)茶館新設
07.19
山岡鉄太郎没

明治22年(1889)

02.01
東京美術学校開校
02.11
帝国憲法発布
05.01
東京市制施行
07.
動物園と教育博物館の間裏手に土地二〇〇坪を貸与されパノラマ館の創設を許される
08.26
徳川家康入国三百年祭上野公園で行う
11.21
東京府教育品展開く
11.23
八百善の桜雲台の開台式開く。
日本美術協会内絵画陳列場の図

初めての電車、上野を走る

第三回内国博覧会で東京で初めての電車を運転 ─ 電車をバックに記念写真をとっている


勝月画 上野公園地第三回内国博覧会之図
不忍弁天祠の図「新撰東京名所図会」より
明治23.12.14刊の時事新報に米イリノイ州の
ボールドウヰン氏が上野公園で軽気球乗りの妙技をみせてくれたとある
「新撰東京名所図会」より
この頃になると、上野公園は小学校児童のレクリエーションの場となる

明治23年(1890)

01.
内国勧業博覧会の混雑を予想、上野広小路三橋を一つにする。
02.17
下谷区民、区会議事堂に集り、
上野─秋葉原間貨物鉄道布設に不服の決議
04.01
第三回内国博覧会上野公園で開催(7月31日まで)
04.19
秋葉原引込線工事に下谷区民激昂、
代表山県総理に面会、事情を具申
05.04
内国博覧会で東京初めての電車運転、
区間は桜か岡─両大師間の約四丁
05.
上野パノラマ館会津戦争を展観
05.12
東京音楽学校開校
07.10
上野公園内華族会館で、貴族院伯、子、男爵の議員互選会を行う
09.03
上野華族会館移転、その跡地は学習院分校となる(開校は11日)
11.01
上野─秋葉原間貨物鉄道開通
11.08
彰義隊々長天野八郎の遺骨、小塚原から南千住円通寺に改葬
12.
米イリノイ州のボールドウイン、
上野公園で軽気球乗りの妙技を見せる

明治24年(1891)

04.01
上野公園に内国商品陳列館開館
04.01
日本美術協会に天皇臨幸、有志野呂松人形を呈上
09.01
日本鉄道上野─青森間全通

明治25年(1892)

08.
松源楼アーク灯を設置、その灯不忍池に映じ夜景の趣きそえる
12.
上野公園摺鉢山の取除き運動起る

《 この頃の記録 》

  • ・米一升  約10銭
  • ・土工賃金一日  10銭
  • ・残飯上等120匁  1銭
  • ・こげ飯170匁  1銭
  • ・残菜一人前  1厘
  • ・残汁一人前  2厘


玉英画(田中幸太郎氏蔵)
上野公園で大きな催しがあるたびごとに、不忍池畔では競馬が行われた。

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