- 上野公園とその周辺 目でみる百年の歩み3
- 日清の戦いに勝利
- 図は、不忍池に敵の旗艦定遠を浮べ、これに火をつけて祝っている。
- 於上野不忍池旅順ロ占領祝祭之図(星野平次郎氏蔵)
日清戦争開戦勝利後、ロシアに宣戦布告。文明は、鉄道馬車から電車へ。外国との戦い、西洋化と近代化が交錯する明治末年。
日清戦争から明治末年まで
- 定遠の姉妹艦鎮遠を捕獲し、
その錨を不忍池旧馬見所跡(現在の水上動物園中央辺り)に
陳列していた。
- 上野公園で開かれた戦勝祝賀会
明治26年(1893)
- 01.11
- 東照宮で徳川家の連歌始を行う
- 06.29
- 福島安正中佐単騎シベリアを横断して帰朝、上野公園で官民大歓迎会開く
- 08.
- 文部省「君が代」を国歌に制定
明治27年(1894)
- 07.25
- 日清戦争始まる
- 12.09
- 上野公園・不忍池畔で戦捷祝賀大会開く
《 この頃の記録 》
- ・日清戦費総額は、2億3000万円
- ・開戦前年の国家予算は、2億6000万円
- 除幕後、早くも東京の名所となった西郷隆盛銅像(星野平次郎氏蔵)
- 不忍池畔では競馬についで近代スポーツ自転車競争が流行した
- 上野動物園も堂々たる風格をおびてきた
- 明治中期の花見風景(喜多川周之氏蔵)
明治28年(1895)
- 02.01
- 不忍池馬見所道路改正のため競売
- 04.
- 下関条約調印、日清講和
- 10.31
- 上野─浅草間馬車鉄道布設可決
- 11.15
- 北白川官能久親王(元輪王寺宮)病死、十一日国葬
明治29年(1896)
- 02.17
- 上野精養軒でシーボルト生誕百年祭行う
- 04.25
- 台湾の役戦没者慰霊祭を不忍池畔で行う
- 05.14
- 西郷隆盛の銅像建設地、上野山王台に決定
- 08.12
- 桜カ丘にパノラマ館開業
明治31年(1898)
- 03.
- 東京美術学校々内紛争、岡倉天心校長を辞職
- 04.10
- 奠都三〇年奉祝会上野公園で開く
- 07.
- 岡倉天心日本美術院を創設
- 11.13
- 上野公園で東京市庁開庁式行う
- 11.
- 不忍池畔で自転車競走会流行
- 12.18
- 西郷隆盛銅像除幕式行われる
明治32年(1899)
- 05.13
- 一高生、不忍池で十三マイル競争行う。
明治33年(1900)
- 08.
- 日本鉄道会社で、上野駅前に待合店(西洋料理店・茶店・菓子店等)を新築
- 09.01
- 上野駅に公衆電話機を設ける。十銭、五銭各一個を投入使用
明治34年(1901)
- 10.20
- 竹の台で山岡鉄舟追悼大日本武術会開く
- 10.20
- 秋季自転車大会、不忍池畔で行う
- 11.07
- 電報通信社の開業式、上野精養軒で行う。
- 鉄道馬車が電車へ変った上野公園前(大正中期)
- 明治中期上野公園前を通る馬車鉄。道路の線は水をまいたあとである
- 明治二十七年日露の開戦で、
当時商売の花形だったタバコが専売となったが、
その直前天狗タバコでおなじみの岩谷商会は
上野公園に水まきをして国民に奉仕精神をうったえた。
- 2000年に国立初の児童書専門図書館、
国立国会図書館国際子ども図書館として開館。(2011年追記)
- 上野図書館の蔵書数は
日本一の一〇〇万冊を誇り、多くの知識人を育てた。
現在は国立国会図書館上野支部。
明治35年(1902)
- 04.28
- 上野公園で日蓮開宗六百五十年祭挙行。
- 10.21
- 赤十字25年祝賀記念を上野公園で開く
明治36年(1903)
- 11.25
- 新橋─上野間市街電車開通、三銭均一。
明治37年(1904)
- 02.10
- ロシアに宣戦布告
- 03.18
- 上野─浅草間電車営業開始、馬車鉄道東京市内から姿を消す
明治38年(1905)
- 11.26
- 上野音楽学校で、二宮尊徳五十年際挙行
- 12.17
- 上野公園で、東京市民の陸軍大歓迎会開く。
明治39年(1906)
- 03.20
- 上野帝国図書館新築落成
- 05.19
- 不忍池畔で、関八州連合の大競馬会十五年ぶりに開く
- 06.10
- 日本赤十字社、上野摺鉢山で日露戦役殉難看護婦の追悼会を開く
- 09.0
- 上野精養軒で語学蓄音器の試演会を開催
- 12.15
- 忍川の通称どんどんの板覆工事着手。東京博混雑の為
- 09.
- 市電値上反対で電車焼打事件起る
《 この頃の記録 》
- 明治39年電車焼打事件前の電車賃。
- ・午前5時~同7時
片道通行税共3銭、往復5銭
- ・午前8時以降
普通往復通行税共9銭
東京勧業博覧会
会場が広く、一日では見られないため、3枚続10銭の観覧券、さらに夜間入場券も売出した。
博覧会には、常に新しい呼び物が出現する。この時は、第一会場に観覧車、第二会場に船滑り(ウォーターシュート)が人気を呼んだ。
- 東京勧業博覧会の観覧券(星野平次郎氏蔵)
- 東京勧業博覧会 第二会場の船滑り(ウォーターシュート)
- 東京勧業博覧会 第一会場の観覧車
- 明治4年東照宮脇に移された頃の黒門
- 明治40年店舗の改築なった松坂屋上野店の歳暮売出し
明治40年(1907)
- 03.07
- 岩倉鉄道学校全焼
- 03.20
- 東京勧業博覧会上野公園で開く
(7月末まで)
- 10.25
- 文部省主催第一回美術展覧会(文展)上野公園で開く
- 10.31
- 帝室博物館、宮内大臣の所轄となる。
明治41年(1908)
- 05.17
- 上野黒門、三の輪円通寺に移転。
明治二年九月道路修繕で、黒門口より東照宮脇、さらに両大師脇へと移されたが、円通寺の願いにより帝室博物館より下付された。
- 11.04
- 上野美術学校のモデル、ストライキおこす。
《 この頃の記録 》
- ・米一升 12銭
- ・東京でのマイカー族は、47人
- ・ベンツ 17,000円
- ・ブラデイ・エーター(単車) 1,000円
- ・四気筒以上の車は、4,000円以上
徳川の町から 文化センターの街へ
- 明治中期の上野動物園全景(新撰東京名所図会より)
明治期の上野は、なんといっても、門前町から文化の街へと脱皮したことである。かっては徳川の根拠地であったが、大衆の場、即ち公園として再出発した。公園には博物館、動物園といった教育文化施設がつくられ、政府をはじめ東京市はあらゆる催事を上野の山へもって来た。
ここに上野の街の方向づけがなされ、公園のある東京の中心盛り場へと決定づけられていくのである。
- 左)「表慶館」開館、国立博物館構内にあり、考古学資料が展示されている。
右)上野動物園に来たアフリカ産の河馬。
- 左端に現在不忍池畔南側にある竜門橋名碑が見える
- (喜多川周之氏蔵)
- 上の写真と同じ、明治43年8月大洪水の情景(上野7丁目付近)
この時代には架線のポールが真中にあり、両側を電車が走っていた。
- 日本赤十字社初代会長 小松宮彰仁親王銅像(上野公園中央)
明治42年(1909)
- 02.11
- 憲法発布二十年祭を上野公園で行う
- 02.22
- 帝室博物館構内に表慶館開館、
皇太子のご成婚を祝した募金四十万円で建てる。
- 12.16
- 山手線(上野─代々木─田町─鳥森間)電車運転始める
- 12.
- 下谷区役所、上車坂三十一番地正法院跡に移転。
明治43年(1910)
- 08.11
- 大雨で下谷区約6000戸、浅草区約14,000戸浸水
明治44年(1911)
- 01.25
- 東京美術学校焼失
- 05.
- 上野動物園にアフリカ産の河馬初めてお目見得
明治45年(1912)
- 03.18
- 小松宮彰仁親王銅像除幕
- 07.30
- 明治天皇崩御、大正と改元
- 07.
- 上野桜木町に鶯谷駅開設
- 10.01
- 不忍池畔で拓殖博覧会開催
この年東京にタクシー出現
《 この頃の記録 》
- ・東京市人口 1,620,000人
- ・内地方出身者 830,000人
- ・人力車一人乗り 20,286台
- ・二人乗り 258台
- ・貸人力車 3,923台
- ・質 屋 2,025軒
- ・宿 屋 753軒
- ・下宿屋 1,664軒
- ・木賃宿 529軒
- ・芸 妓 4,088人
- ・娼 妓 4,300人
- ・浅草の私娼 4,000人
- (俗称十二階下)
明治天皇崩御を報じる当時の新聞