上野観光連盟

上野の歴史−8

上野公園とその周辺 目でみる百年の歩み5
第二次世界大戦開戦から終戦へ。大正大震災から続く復興の連続。波乱の幕開けとなる「昭和」の初まり。

昭和初年から、第二次世界大戦終了まで

元号「昭和」 戦争と平和

昭和2年、東洋で初めての地下鉄開通。
乗車賃を入れると入口が自動的に開く近代的な改札だった。

─ 探し求めた青い鳥 ─
大正大震災から立ち上りきれないうちに昭和を迎えた。復興ぶりには目覚しいものがあったが、第二次世界大戦により再び東京は焦土と化してしまった。戦争のもたらした損失は物的にもさることながら精神面にも震災の何倍にも匹敵するものがあった。やがて戦争が終わり、昭和のご一新といわれる民主主義時代がやって来たのである。これは私たちが長い間探し求めていた青い鳥を得た思いである。

上野の街にも、この新しい時代が訪れてきた。しかし、これを身につけるにはかなりのかなりの困難がつきまとった。浮浪者、ノガミ、夜の女、ヤミ市などなど社会的な問題がたくさんあった。でも私たちは、困難にも負けず、積極的にこれらの問題を処理し、今日の繁栄をかちとったのである。

朝香宮殿下と北白川宮殿下(喜多川周之氏蔵)
昭和3年11月、御大典奉祝の人出。松坂屋の建設現場に大装飾をした。
海と空の博物会の人出、この日の混雑のため、死者一人でる。

昭和2年(1927)

12.30
日本で初めての地下鉄、上野─浅草間に開通

昭和3年(1928)

09.16
上野自治会館で市政糺弾市民大会開く。
11.13
上野公園で、御大典大奉祝会を開き、天皇、皇后両陛下臨幸。

昭和5年(1930)

01.01
地下鉄、上野─万世橋間開通。
03.16
上野図書館新館落成
03.
海と空の博覧会上野公園で開く
03.24
天皇陛下復興の東京を巡幸、
西郷隆盛銅像前から市街を展望される。
04.01
上野駅前に地下道完成。

《 この頃の記録 》

  • 坪当り東京の地価
  • ・銀座表通り 1,756円
  • ・上野広小路  900円
  • ・浅草雷門前  800円
  • ・有楽町駅付近 600円
  • ・新宿表通り  349円

京成電鉄、環境保全に全力

昭和八年のこの時、上野公園の環境を保全するために、道路下は露天掘りだったが、樹木のある下はもぐら掘りで工事を進め馬蹄型のレンガを積んで落盤を防いだ。

美術館前の露天掘り風景、足場はすべて丸太だった。(京成電鉄提供)
馬蹄型と箱型の接続部。(京成電鉄提供)
上野駅新築落成記念下谷協賛会式場風景
昭和6年11月2日、東京科学博物館開館。
科学博物館にふさわしく、飛行機の形をしている。(喜多川周之氏蔵)

昭和6年(1931)

08.01
最初のトーキー映画公開。
09.18
満州事変ぼっ発。
11.02
東京科学博物館開館。

昭和7年(1932)

04.02
上野駅舎落成
05.15
五・一五事件
10.01
大東京市実現三十五区制となる。

昭和8年(1933)

12.10
京成上野駅─日暮里間開通。

《 この頃の記録 》

  • 昭和七年東京の物価
  • ・大学出初任給   五十円
  • ・大工・左官日当   二円
  • ・少年工      四十銭
  • ・めし屋の定食   一十銭
  • ・紅茶・コーヒー   五銭
  • ・そば・うどん    七銭
  • ・大福餅一個     二銭
  • ・トンカツ一枚    十銭
  • ・ライスカレー    十銭
  • ・銭湯        五銭
  • ・市電乗りかえ自由  七銭
  • ・バット十本入り   七銭
  • ・外米一升      七銭
  • ・貧民街の長屋家賃  三円
  • ・三本立古物映画大人 十銭
  • (すべて平均値)
上野駅の利用状況 年間乗降者数

  • ・明治20年(1887) 822,899人
  • ・明治30年(1897) 1,276,224人
  • ・明治40年(1907) 5,404,043人
  • ・大正6年(1917) 9,656,660人
  • ・昭和2年(1927) 27,817,401人
  • ・昭和12年(1937) 不 明
  • ・昭和22年(1947) 不 明
  • ・昭和32年(1957) 79,276,000人
  • ・昭和42年(1967) 136,412,171人
  • ・昭和47年(1972) 153,534,191人
  • (上野駅調べ)


(東京都公園協会蔵)

昭和6年6月、不忍池ボート池営業開始時の写真。
不忍池畔右上の建物は上野クラブといい、当時としては近代アパート。その中には大正大震災前に売れない詩人、共産主義カブレした学生がいたという。これぞ後の西条八十と野坂参三だったとのこと。
(野坂参三氏談)


上野公園が文化の森にふさわしい風格をそなえたのはこの頃から。
博物館、美術館、科学博物館いずれおとらぬ堂々たるものができあがった。

東京帝室博物館
旧東京帝室博物館

昭和10年(1935)

06.
上野図書館前に小泉八雲記念碑建つ。
11.01
明治天皇上野公園行幸六十年記念祭を開催、
上野懐古展、下谷区産業展開く。

昭和11年(1936)

02.26
二・二六事件勃発
12.
常磐線、上野─松戸間に電車運転始まる。

昭和12年(1937)

07.07
盧溝橋事件発生、日華事変起る。
11.06
帝室博物館竣工、翌十三年十一月開館。

苦難の道を歩む 上野のドン底

無条件降伏、戦争の詔勅でる。(昭20.8.15)
広小路付近の殆どを焼失、その夜は大雪にみまわれました。
(昭20.2.25)

昭和16年(1941)

12.08
太平洋戦争始まる、米英に宣戦布告

昭和18年(1943)

07.01
東京都制実地
08.
上野動物園で、空襲のため猛獣が出ることを考慮し致死処置はじめる。

昭和18年(1943)

01.01
仲御徒町二丁目付近空襲で焼失。
02.25
上野広小路付近空襲で焼失。
03.09
B29、130機来襲下町一帯焼失。
08.15
終戦の詔勅発布。
11.
上野復興連合会誕生。

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