─上野公園の価値が改めて見直された時期─
子供が生まれ、育つためには、いろいろな病気や災害にであう。明治生まれの新生児日本は、大正期に近代病のさまざまな経験をする。例えば、第一次世界大戦への参加、大正デモクラシー、労働運動、それに史上まれにみる大震火災。震災を逃れた多くの人びとを救った上野公園が、公園のあり方を改めて見直された時期でもある。
まさに上野公園の大活躍は、災害の避難場所として最も重要な価値を市民に知らせてくれた。
博覧会には毎回新技術が公開されるが、今回はロープウェーとエスカレーターが出現した。
上野の山と不忍池を見事に調和させた大正博であった。
池畔全域を使った雄大なスケールで行われた。この写真は、開会間近で、弁天堂参道にはまだ木材がいっぱい見られる。特に人気を呼んだ朝鮮館(右上)と外国館(その左)。 (星野平次郎氏蔵)
のどかな上野公園入口も一転して避難者の群でいっぱい。この時の上野公園は多くの人の命を助けたばかりでなく、一夜に70人もの赤ちゃんを無事出産させ、まさに上野公園の大活躍であった。正面日活、帝国博品館、松坂屋は、二日目に焼けた。
上野公園地は宮内庁より東京市に下賜され、上野恩賜公園となる。